例外: 自分の頭で合理的に考えなくても良い場合

人間は選択をするときに自分の頭で合理的に考えなければならず、それによって得た利得または損失は、すべて、その考えをして決定をした人が得ることになる。
これは、つまり、人間は、自分の頭で合理的に考えとしてもそうでなかったとしても、自分が何らかの指針に従って (または指針無しにやみくもにサイコロを振って) 選択したとても、自然は、その結果を、結果が出るまでは一切事前に保証してくれないということである。自然が保証してくれないのだから、損失が出たら、自分が補償するしかない、という考え方である。


最終的に、選択による結果は、自分が被ることになる訳だから、他人の意見が、なぜかわからないけれど信用できそうだからだとか、熱狂的または多数派だからというだけで、それに従ってはならない。
必ず、自分の頭で合理的に検証・判断して、その選択を行わなければならない。
なぜならば、他人の意見に従った結果損失が生じたからといって、その他人が損失を埋め合わせてくれる訳ではないからである。


逆に言うと、例外として、他人の意見にただ何となく従って行動し、かつ、自分の頭でその意見が合理的かどうか判断することを懈怠することをが許される状況も考えられる。
その条件とは、唯一、当該他人が、その他人の意見にただ何となく従って行動した人に対して、それによって生じるリスクを、事前に埋め合わせるだけの報酬の支払を保証してくれていて、かつ、その支払いが確実である場合のみである。
たとえば、単純労働者等がこれにあたる。単純労働者等は、自分の頭でその指示内容が合理的かどうか判断せずに、経営者の指示通りに作業をする。合理的か否かの判断はしていないので、たとえば、経営者が、工場労働者に、「イスを 1,000 脚、このマニュアルに従って組み立てろ、何も考えることはない。」と指示したら、工場労働者は、それに従えばよい。
単純労働者等は、その指示のマニュアルが合理的かどうか (そのマニュアルに従えば、本当に商品価値があるイスができるのか)、および、その 1,000 脚のイスが本当に市場で売れて、経営者にとって十分な利益が生じるのか、ということを、自分の頭を使って考える必要は全く無い。
その工場労働者にとっては、商品価値が高いイスが生産されなくても、または、イスがそもそも 1,000 脚売れなくても、それは経営者の指示に従っただけである。単純労働者である限り、経営者の指示が正しい (合理的) かどうか、頭を使って判断する必要は無い。経営者は、その単純労働者に対して、予め、金額を定めて給与の支払を保証しているからである。その給与は、イスが売れたか売れなかったかにかかわらず、また、経営者が利益を得たか損失が生じたかにかかわらず、単純労働者に対して、必ず支払われる。単純労働者にとっては、頭を使って判断をする必要やそれによって生じるリスクは全く無い (ただし、単純労働者の能力がなく、指示通りにイスが組み立てられない場合は、給与は支払われないかも知れない)。


だから、経営者の指示に従うだけの単純労働者にとっては、他人 (経営者) の意見が、なぜかわからないけれど信用できそうだから (経営者というのは偉いのだろう、とか) という理由だけで、盲目的に、それに従い、自分の頭を使わず、判断もせず、その他人 (経営者) に従えば良いのである。その代わり、その単純労働者は、「合理的な判断をする」という人間にとって最も価値が高く、また、難易度の高い作業をしていないから、その「合理的判断」という行為に対する報酬はもらえない。その報酬を受け取るのは、当然、合理的な判断をして指示を出している経営者である。


経営者が、単純労働者に対して、その単純労働者が考えた合理的な反対意見 (たとえば、こんなイスを 1,000 脚も作っても売れないと思いますよ、とか) を無視し、その経営者の意見に従って作業をすることをその単純労働者に対して強制し、よって損失が経営者に生じたとしても、その経営者の責任である。単純労働者は、そのイス製造事業によって利益が生じようが、損失が生じようが、予め定められた賃金報酬をもらうだけである。