単純労働者であっても絶対に自分の頭で考えなければならないことが 1 つだけある

自分の頭を合理的に使うことが嫌な人でも、現代社会においては、上記の例のように、誰か他の賢い人 (経営者) に合理的に考えてもらって、その考えを、自分では判断せずに、単に盲目的に従って行動するというだけで、賃金報酬を得ることができるのである。
しかし、だからといって、そのような単純労働者が、生きていく上で、全く、合理的な判断を自分の頭を使って行う必要が無いという訳ではない。
先ほど、「例外として、他人の意見にただ何となく従って行動し、かつ、自分の頭でその意見が合理的かどうか判断することを懈怠することをが許される状況も考えられる。その条件とは、唯一、当該他人が、その他人の意見にただ何となく従って行動した人に対して、それによって生じるリスクを、事前に埋め合わせるだけの報酬の支払を保証してくれていて、かつ、その支払いが確実である場合のみである。」と書いたが、そのような支払いが保証されるかどうかは、その単純労働者が、労働行為を開始する前に、確かめる必要がある。
その検証行為を実際に行う際だけは、どうしても「自分の頭を使って合理的に考える」という必要がある。これを忘れてはならない。具体的には、自分が勤務する先の会社の経営者が「確かに賃金を支払ってくれるだけの信用できる人物であるか」ということ、および、「その支払に係る賃金の財源は確保してあるのか」ということを確認しなければならない。これを確認するためには、絶対に、自分の頭を使って調査し、判断しなければならない (なぜならば、この確認を行うことを怠り、誰か他の人の意見に従うことは、先ほどの理論により、当該誰か他の人が、その意見が間違いだったときにそれによって生じた損失を穴埋めしてくれるだけの支払いの保証を予め約束していることが前提になり、それは、まさに単純労働者と経営者との関係であるから、これが再帰的に無限に続いてしまうことになる。したがって、どこかの段階では、やはり、どんなに頭を使うことが嫌な人でも、頭を使わなければならない)。
また、単純労働者としては、自分の時間を使って労働をしたとして、その苦労に見合うだけの賃金報酬の支払を約束してくれる経営者を探さなければならない。もし、自分の時間を使って労働をしたとして、それに比較してとても割に合わないような金額しかもらえないような経営者だということがわかったら、すぐにそこを離れて、別の経営者のところへ行かなくてはならない。