昨日の空港税関での揉め事に関する日記についての考察

昨日、日本の国際空港の税関で得た興味深い体験について、日記を執筆したところ、予想外のアクセス数があって驚いているところである。そこで、昨日の記事について改めて考察してみるとともに、自分の、より詳しい思考ルーチンの動きについて、内省してみることにする。

Q1. 日本の空港だからこのような「正直に答えると興味深い体験をする」ことを試行できたのであり、海外の空港ではこのような面白いことはならずにもっと危険なことになるのではないか?

このような疑問が生じることは自然である。私は、外国の空港で同じようなことをしてみるということについて、今のところ興味はない。
なぜならば、私は日本国民なので、当然に日本国に帰国する権利がある。空港の入国確認のところや、税関のところで、いくら揉めたとしても、現行法では、日本人と認められる人が、日本国に入国 (帰国) することを拒否される可能性は絶対にない。それは本当か?と思う人は、出入国管理法 (通称) を読んでみると良い。日本人に対しては、入国審査場では「帰国の確認」手続きをすることが義務付けられているだけである。「帰国の確認」は、「入国審査」ではない。「審査」ではないということは、空港の公務員には、その日本人が入国しても良いかどうかを判断してはならないのである。あくまでも、帰国してきたと主張する人が、「本当に日本人なのか、それとも違うのか」を判断する権限しか公務員には与えられていない。客観的に見て、日本人であると思料される人物が日本に戻ってきたら、政府は、絶対に、その人の入国を妨害することはできない。パスポートを無くしていても、税関で大いに揉めても、同様である。どのようなトラブルが起きたとしても、公務員には、日本人が日本に帰国することを拒否する権限はない。だから、日本人は、日本の空港で、このような「正直に答える」という、普通とは違う行為を試してみることができるのである。その結果、日本に帰国できないというトラブルは絶対に起こらない。だから、それについては安心して良い。
日本人には、日本に帰国するときに、「入国審査がある」と思い込んでいる人が結構いる。その理由は、「帰国の確認」をするためのカウンターに、大きな字で、堂々と、「入国審査」と書いてあるためである。日本人用の入国ゲートのところにもそう書いてある。これは大嘘である。審査は絶対にない。
前に、空港の「入国審査」と書いてあるところで並んでいる、どう見ても日本人と思われる人たちが、冗談で、「入国拒否されたら面白い」とかいうような雑談をしていたのを聞いたことがある。その可能性は (もし本当に日本人だとしたら) 絶対に有りえない。
公務員には、ある日本人が帰国してもよいかどうかを審査し決済する権限はない。その人が日本人本人であることを確認する権限があるだけである。ところで、指名手配されている人が、外国から日本に戻ってきても、入国することはできる。その場合、法務省の管理する、NEC の従業員が作ったデータベースシステムで検証されて、指名手配されている人の場合、直ちに警察官がやってきて、身柄を拘束する可能性はある。それでも、入国する権利は、確実に保証されている。指名手配犯は入国できないという制度は日本にはない。


日本人は、日本の空港に着陸すれば、日本に帰国することは絶対に可能だが、入国時における税関検査で、持ち込み制限物品に関する「申告漏れ」をしてしまうと、関税法に従って処罰されてしまう可能性がある。だから、すべての日本人は、入国時に、関税法に違反しないように、つまり、絶対に「申告漏れ」をしようないように、並々ならぬ注意を払う必要がある。そうしないと、絶対の安心をもって、関税法に違反しないように、入国することができないのである。だから、日本の空港で、昨日の日記に書いたように正直に申告することは、日本人にとってメリットがある。
一方、日本人が外国の空港で同じようなことをすると、その外国の国内法によって、入国が拒否されたり、逮捕されたり、強制送還されたりしてしまう可能性がある。これでは、自己の旅費や時間を大幅に無駄にしてしまうというリスクが生じる。だから、日本人が、昨日の記事を見て、このことを外国の空港で試そうとすることは推奨できない。なぜならば、前記リスクにかかる損失の期待値のほうが、「正直に答えることで、外国の関税法に違反しないように安全に荷物を外国に持ち込む」ということによって得られる「安心」という利益の期待値よりも、明らかに大きいからである。だから、メリットがない。また、日本人は、日本国の法律には比較的詳しいが、外国の法律にはあまり詳しくない傾向があるから、外国の空港でこのようなことを試してみることは推奨できない。
外国人が、その人が属する国でこのようなことをやったらどうなるのか、ということについては、私は関心はない。

Q2. 空港でこのように「正直に申告する」ことは、税関職員の時間を消費したり、長蛇の列ができたりしたことは、周囲に迷惑をかけることにつながるのではないか?

全くその通りである。だから、単に、周囲に迷惑をかけたくないという人は、「正直に申告する」ことを怠って、いい加減に申告書に「いいえ」をチェックして、「申告が必要な物は持っていませんか?」という税関職員の問いに、口頭で「ありません。」と申告し、普通に通過すれば良い。これはほとんどの人がやっていることであると思う。
しかし、それにはリスクがある、というのが昨日の日記で主張した内容である。そのリスクとは、「申告すべき物を、間違ってカバンの中に入れている可能性はわずかでもあるのだから、その状態で、持っていないと申告して、その後、カバンを検査されてしまうと、自分の有罪が疑われてしまう。」というリスクである。もちろん、故意ではなく、過失によって、本当は申告が必要なものを、間違って持ち込んでしまったということが刑事訴訟で裁判官によってそう判断されれば、無罪となる (確か、税関法のこの規定には、過失犯は規定されていない)。だが、裁判官の判断が間違う可能性もあるし、また、無罪になるといっても、それまでの間に費やす取り調べの時間には多くの時間がかかるから、それに対するコストを支払うのは避けたい。そこで、空港でこのように「正直に申告する」と、そのリスクを避けることができる。
関税法の規定では、持ち込みが制限されている物品がある場合に、その申告をせずに、持ち込むことが制限されていて、罰則もある。逆に、「持っています。」または「持っている可能性があると思いますので、調べてください。」と正直に申告した後に、税関職員が、カバンをチェックして、その制限物品が発見された場合は、全く罪にはならない。なぜならば、「申告をせずに持ち込む」のが違法なのであって、「申告をしたけれども、持ち込んで良いと税関職員の許可ないし承諾を得て持ち込んだ」とか、「申告をした結果、制限された物品が見つかって、没収手続きに同意し、税関がそれを没収した」とかということが起きても、正直な申告による結果であるので、旅行者の側には、ペナルティを受けるリスクがない。
旅行者は、正直な申告をしなければならない。申告書で持ち込み制限物品について「はい」を選択する場合、具体的に、どのような制限物品を持ち込もうとしているのか、分かる範囲で、表に記入しなければならない。分かる範囲で記入しなければならないというのは、たとえば、外国で購入した「チョコレート」に、ひょっとすると麻薬が隠されているかも知れないな、と思うときは、「チョコレート」と書けば良い。「チョコレートの中の空洞部分のどことこにある可能性がある麻薬成分」と書く必要はない。つまり、自分が、「ここには違法・制限物品があるかも知れないな」と思うことができる、できるだけ細分化した、物品名や数量を記入すればよい。どこまで細かく特定して記入しなければならないのか、というのは法律には規定されていない。極端に言えば、「旅行カバンおよび内容物1式」という物品名で申請すればよい。そうすれば、その「旅行カバンおよび内容物1式」という巨大な物品全体が、持ち込み制限がされているかどうかを判断する責任は、税関に委ねられる。「旅行カバンおよび内容物1式」よりも細かく書かなければならないという根拠など、どこにも無い。「旅行カバンおよび内容物1式」の中にある細かい物で違法・制限物品に該当する可能性があるものをすべて列挙しろと言われれば、それは原理的に不可能なのでできません、と言えば良い。原理的にできないといってもそれでもいいから「大まかに書け」と言われれば、その税関職員に対して、その発言に責任を負えるのか、と聞けばよい。


さて、正直が良いか、いい加減が良いか、比較してみよう。正直に申告をせずに若干いい加減に適当に「制限物は持っていない」という申告をして通過した後、制限物が発見された場合は、ペナルティを受けるリスクがある。だが、正直に「持っているかも知れない」という申告をして、すべて税関職員の裁量によって、荷物を検査し、その結果、税関職員に「すべて荷物を検査したが、制限されている物は見つからなかったので、どうぞお通りください」と言われたら、その荷物には制限物が入っていなかったという保証を、税務職員からもらったことになる。その後、荷物から、間違って、違法・制限物品が見つかってしまっても、「法律によって、旅行者の荷物の検査を義務付けられている関税職員がすべて検査したが、この物品を持ちこんではいけないとは言われなかった。だから、私は、持ち込んで良いと判断し、持ち込んだ。私には責任はない。」と主張することができることになる。そうすると、ペナルティを受けるリスクはほぼゼロになる。
そこで、「正直に申告する」、「いい加減に申告する」の 2 種類の選択肢を比較すると、法律に違反したとされて罰則を受けてしまう可能性は、前者のほうが大幅に少なくなる。後者のほうは、比較的、危険である。前者を選択するときは、そのリスクの差分が、自分の利益であるということができる。
一方、「正直に申告する」を選択した人は、税関職員の時間を消費したり、長蛇の列ができたり、また、自分の荷物を開けられたりして、それらを総合すると、不快な思いをするかも知れない。その不快な思いというのは、一種の、精神的な損失である。その損失は、この「正直に申告する」を選択することで、ほぼ必ず発生してしまうといっても良い。「いい加減に申告する」を選択することは、その不快な損失を得ることなく税関手続きを済ませることができる訳であるから、その差分が、自分の利益であるということができる。
だから、「正直に申告する」、「いい加減に申告する」から 1 個しか選択できないという場合、それぞれを選択することで受けることができる利益を比較して、自分にとって利益の大きいほうを選択すれば良い。多くの人は、後者を選択することによることのほうが利益があると思っているから、後者を無意識に選択している。それは、後者を選択することによって生じるリスクについて、あまりよく考えたことが無いためである。昨日の日記を読んで、「前者を選択することのほうが、比較的利益が大きいな」と思った人は、これからは、前者を選択すれば良いのである。


人によっては、前者、つまり、「正直に申告する」を選択する場合に、大きな損失を受ける可能性があるかも知れない。たとえば、税関職員に友達や、友達の友達などがいて、その友達が、自分が税関で揉めているのを見て、迷惑に思うかも知れない。自分の仕事を増やした面倒な奴だと思うかも知れない。それは、あなたにとって損失である。だから、税関職員と揉めると、高い確率で、自分の評判を落としてしまうかも知れないと思う人は、前者に関する損失の値が大きいということになるから、やらないほうが良いかも知れない。
また、「時間がないからすぐに済ませたいな」とか、「後ろにできた長蛇の列に自分の友達や関係者がいて、その人に迷惑をかけてしまうことによって、自分にも後で不利益が生じるかも知れないな」と思って躊躇した人は、それによって生じる損失の値も加味しなければならない。
そのような損失がほとんど無いか、少しくらい損失があっても、それでも、比較したら、前者を選択することによる利益のほうが大きいな、と思えば、前者、つまり、「正直に申告する」を選択すればよいのである。


だから、端に「税関職員や周囲に迷惑をかけるかも知れないかも」という理由だけで、前者、つまり、「正直に申告する」を選択してはいけない理由にはならない。合理的に考える人は、両方の選択肢の損得を脳内で計算して、自分の責任・自由で、どちらか一方を選択するべきである。もちろん、非合理的に考えることが好きな人にとっては、ここに書いてあることは関係無い。

Q3. 税関職員に対して「普通の人とは異なり、あえて、正直な申告をする」ことは、税関職員を困らせることで、これは、政府権力に逆らうことなのではないか?

このように思考して、昨日の日記に書いてあるようなことをしないようにしようという人がいるかも知れない。しかし、よく考えてみよう。
「政府権力に逆らうこと」が良いことか、悪いことかという判断はここではしないことにする。私は反政府主義者ではなく、政府権力は、必要なものであると考えている。だから、原則として、政府権力に逆らうことはしないのである。政府権力に逆らっても良い場合は、政府権力が、長期的に見て、国民にとって、不利益となるようなことをしていると合理的に考えられる場合のみだと考えてる。これについては、別の考え、たとえば政府は無いほうが良いというような考えを持つラディカルな人もいるかも知れないが、私はそうは思わない。しかしそのことについてはここでは触れない。
さて、あなたが昨日の日記に書いてあるように、税関職員に対して「普通の人とは異なり、あえて、正直な申告をする」ことを行った場合、それを見ていた人から、「政府権力に逆らうことだから、やめるべきだ」という意見をもらったとしよう。それに対して、あなたは反論をしたほうが良い。
税関職員は、政府権力を構成する 1 要素である。税関の目的とは、違法・制限物品を持ち込ませないように防止したり、また、関税がかかる物品を指摘して、適切な税金を徴収したりすることである。この目的に反するような行動を行い、それを税関職員が止めようとしたときに、強行突破するとか、検査を妨害するとかいったことが、「政府権力に逆らうこと」である。
一方、旅行者が、自分の荷物の中に違法・制限物品があるかも知れないので、それが国内に持ち込まれることを防止するために、税関職員によく検査してほしいと依頼することは、上記の税関の目的を考えれば、その目的に逆らっている態度だとは到底思えない。そうではなく、「積極的に税関の目的を達成するために協力をしようとしている」という態度である。だから、税関職員に対して「普通の人とは異なり、あえて、正直な申告をする」ことを行うことは、「政府権力に逆らうこと」にはならない。逆らっていないではないか。むしろ順応しているではないか。


なお、税関職員に対して、自分の荷物を開けて検査するべきだと、平穏に依頼する行為は、公務執行妨害とか、業務妨害とかに問われるのではないかと思ってしまう場合があるかも知れないが、法が正しく運用されている限り、絶対にそのようなことにはならない。「暴行・脅迫」(たとえば、公務員の身体に触れるとか) を行わなければ、公務執行妨害をしたことにはならない。「虚偽の風説の流布・偽計・威力」を行わなければ、業務妨害をしたことにはならない。

Q4. 全員が荷物検査を税関に要求すると、荷物検査の量が増えるので、本当に怪しい人を見落としやすくなってしまうのではないか?

この疑問に対する回答としては、「それは旅行者が考えるべき問題ではなく、税関が考えるべき問題である。」ということができる。そうなったときの場合を考えて工夫するのが、我々国民が雇用して、我々国民に対して奉仕する税関の公務員の仕事であるから、それを国民である旅行者の側が直接考える必要はない。国民は、給与を税関の公務員に対して支払っているのだから、税関の公務員は、それに見合う仕事をすれば良いのである。
その結果、税関の公務員の仕事の量が増えれば、予算がたくさん必要になるから、国民は、増税に合意して、税金をもっとたくさん支払うかも知れない。逆に、国民は、もうこれ以上は税金を払ってまで税関の公務員の仕事内容を大変にしたくないと思うかも知れない。その場合、税関の公務員の人数の増加はその時点で止まるから、もちろん、荷物の検査は疎かになり、その結果、違法・制限されている物品が日本国内にたくさん持ち込まれることになるが、それによって損失を被るのは、それでも良いと考えた国民にある。現在の日本の代議制民主主義制度の原則は、国民の多数決で選んだ議員が決めた法律が公務員を動かして国民にサービスするということになっている。だから、当然、前記のような自動制御機構が動くはずだ。それが動かないかも知れないというのであれば、それは、原則が実は建前に過ぎないのではないかとか、現在の日本の代議制民主主義制度の運用が不十分なのではないかとか、または、そもそも、日本の現行制度が必ずしも国民に対して利益を提供していないのではないかとか、そういう議論になってしまう。

Q5. 日本での色々な取引や窓口手続きでこのように細かい点まで気にしていることは、印象を悪くするので、不利益ではないか?

民間企業や私人との間の取引では、相手との友好関係が最優先であるから、細かい点まで気にすることは、不利益であるかも知れない。
今回の税関は、唯一の公権力である政府との間の、法律に定められた手続きであるから、民間企業や私人との間の取引と比較することはできない。

Q6. 「それでは荷物を検査しますから他の人がすべて終わるまで待ってもらいます」と言われたらどう言えば良いか?

「私は、特別な要求はしていない。旅行者の荷物を検査するのはそもそも税関の法的に定められた役割である。税関は、すべての旅行者のチェックを、公平、つまり先着順に行う必要があるのではないか。先着順に処理しないというのであれば、他に何か基準があるのか。検査を申し出たにもかかわらず、"他の人が終わるまで待ってください" と言って、長時間私の件を放置して時間を無駄にすることに関して、もしそれを規定する公平な根拠法令がなければ、あなたは、組織内で、個人的に責任を問われることになるかも知れないが、それでも良いのか?」と言えば、「すぐやります。」と言うのが、公務員である。

Q7. 日記を読んで、今の税関の法律・規則には不十分なところがあることがわかった。だからといって、法律・規則の不十分なところの行動をして、その結果、公務員が困るのは、良くないことである。

それはおかしい。法律・規則が不十分なことの責任は、その法律等を決議するために雇用した国会議員の選挙、つまり多数決の結果にある。多数決の結果は、すべて、多数決に参加した人が等しく責任と利益と損害を負担するとされている。だから、多数決で議員を決めて、議員が法律を決めるという仕組みを許容するのであれば、このような行動によって、公務員が困って、それによってサービス品質 (QoS) が低下するというのは、多数決に参加しているあなたにも責任がある。もしイヤならば、その法律を改善することができる議員を選出するか、または、自分が議員になれば良いではないか。という論が成り立つはずである。


ここで、何か、「確かに建前としてはそうなのだが、現実にはそういう風には行かないな。何か問題があるのではないかな」と、ふと思った人は、鋭い人である。実は、昨日の日記や、上記で書いたことによって指摘されている問題の本質は、そこにあるのだと思う。現在、日本国民が採用している、法律を決めるための制度がおかしいか、法律を決めるための制度の運用がおかしいか、その両方がおかしいか、いずれかに該当しているのではないか、ということになる。

Q8. 正しい「申告」は申告をしようとする側、つまり旅行者の側の義務なのではないか?

その通りである。ところで、持ち込み禁止物品があるということを申告しなければならないその物品について、申告せずに税関を通過しようとすることは、当然違法だが、「持ち込み禁止物品として申告しなければならないかどうか分からない物品」について、それが「持ち込み禁止物品として申告すべき物品だと思う」旨を述べてとりあえずは任意に税関に提出して判断を仰ぐことは、違法なことではない。


「申告しなければならない物品を、申告しなかった。」という行為は、関税法に定められている正しい申告をするという義務に違反していると思われ、また、罰則もある。


一方、「本来は、申告しなくても良い物品であったが、申告時には、不明であったので、念のため、申告した。」という行為は、確かに、結果として、正しい申告をするという義務に違反していることになるが、関税法には、その場合の義務違反に関する罰則はないように読める (自分の見落としかも知れないが、その場合は申し訳ない)。


つまり、「不注意で、または知識不足で、申告しなくても良い物品について、申告すべき物品として申告してしまった。」という行為は、確かに、旅行者のほうに義務違反があるのかも知れないけれども、それには罰則が無いのであれば、旅行者にリスクはない。


ところで、関連する話題であるが、私の場合は、荷物を税関に調べてもらって、それで持ち込み禁止物品に該当する申告するべき物品かしない物品かをすべて判別してもらった訳であるが、もし、税関が応じなければ、とりあえず、念のため、旅行カバン全体を、「持ち込み禁止物品に該当する申告すべき物品」として提出し、領置あるいは没収してもらえば良いのではないかと思う。なぜならば、「持ち込み禁止物品に該当する申告すべき物品ではない物品」について「持ち込み禁止物品に該当する申告すべき物品であるとして申告」することは、完全に適法であるかどうかは、不明であるが、少なくとも、罰則付きの違法行為ではない。次に、税関を通過した後、領置あるいは没収してもらったその物品 (旅行カバン全体) について、その返還を請求すれば良い。そうすれば、とりあえず、旅行者としては、実現したいことはすべて実現できる (ただし返還まで時間がかかる)。
税関は、領置あるいは没収した物品が、本当に「持ち込み禁止物品に該当する申告すべき物品」であった場合は、それを廃棄することができると関税法で規定されている。しかし、旅行者が、「これは持ち込み禁止物品に該当する物品である可能性がありますが、そうでもない可能性もありますので、一応、持ち込み禁止物品に該当するものとして任意に提出します。」と言って、税関に差し出した荷物は、旅行者のほうが間違っている可能性があるのであり、その場合、税関は、旅行者が間違ったからというだけで直ちにその本来廃棄してはならない物品を廃棄してはならない。判例を知っている訳ではないが、私にはどうしても、そう思える。
私は、その「廃棄をするか否か」を最終的に決定する責任は、税関にあると思う。
その理由は、以下の通りである。まず、「廃棄をするか否か」を旅行者の側の故意または過失による誤った申請によって判断することは危険である。旅行者が、本当は、持ち込み禁止物品ではないけれども、日本国内での処分に困る物品 (たとえば、アルカリ乾電池やリチウム・イオン・バッテリー等) を、「これは持ち込み禁止物品かも知れないと思う」と思って、任意に税関に差し出せば、税関は、それを廃棄しなければならないということになる。リチウム・イオン・バッテリー等は廃棄に多額のコストがかかるのであり、税関は、その旅行者が税関を通り過ぎて自宅に帰宅してしまった後に、その物品がどう見ても「持ち込み禁止物品には該当しない」と判断しても、それを廃棄しなければならなくなる。それはおかしい。旅行者は、本来、自分で負担しなければならない、リチウム・イオン・バッテリー等の廃棄費用を、税金を使って、税関にやってもらうことができることになってしまう。関税法には、その廃棄にかかる費用を、元の荷主に請求するという規定がないためである。元の荷主である旅行者は、納税資金にただ乗りしていることになる。そういうことになれば、税関には、日本で処分に費用がかかる不要物品を持ち込んで、「持ち込み禁止物品に該当するかも知れないから、申告します」といって提出する人の山ができてしまう。
だから、税関からいったん「持ち込み禁止物品に該当するかも知れないと思うから提出する」といって差し出された物品のうち、後に、税関が、「持ち込み禁止物品には該当しない」と判断したものは、税関は、旅行者に返却しなければならないのではないか。もしそうだとすると、先の例で、旅行カバン全体を、「これは持ち込み禁止物品に該当する物品である可能性がありますが、そうでもない可能性もありますので、一応、持ち込み禁止物品に該当するものとして任意に提出します。」と言って税関に差し出した後、税関は、その中に違法な物品がないかどうか検査し、その検査が完了した後に、旅行者から請求があった場合は、直ちに旅行者に全部返却しなければならないと思う。また、間違ってそれを廃棄してしまっていれば、間違って廃棄したことによって旅行者に生じた損害を金銭で賠償しなければならないと思う。(もっとも、その場合、荷物検査および廃棄処理は、密室の中で行われるので、それについて、旅行者の側は、監査をすることは現実的に難しいかも知れない。)

Q9. これは要するに、本来は旅行者の側が担っているべき「正しく自分の荷物を検査して申告する義務」を、税関の側に責任転嫁する方法だということなのではないか?

全くその通りであると思う。ただし、「責任転嫁」とは「責任を他人に強制的に押し付ける」という悪いイメージが強い。私は、行政に対して、強制的には自分の責任を押し付けていない。そもそも、物理的強制力を持っているのは、行政のほうであり、行政に対しては、一般国民である私は、強制的に自分の責任を行政に押し付けることは、原理上不可能である。責任を押し付けようとする側が、暴力や不法な脅迫、強要をしない限りは (それらは公務執行妨害罪になるので、やってはいけない。税関職員の体に触れてもいけない。やって良いのは、穏便に、平然と、会話することだけである。)、行政の担当者の側は、自由意思により、その責任を受け入れることに合意した場合だけ、責任を引き受けることになる。それ以外の方法で「責任を押し付けられる」ことは存在しない。
だから、ここでは悪いイメージを避けるために、「責任移転」と言うことにする。


ところで、これは今回の件について、かなり本質的な部分に近い問題である。


もともと、税関制度の趣旨では、旅行者は自分の荷物を把握・管理して、中に何が入っているのかを正確に熟知して、それに基づいて税関で申告をしなければならないということになっているのではないかと思われる。だから、確かに、「自分で検査すべき責任を税関に責任移転すべきではない。行政サービスへのタダ乗りだ。」と思えるかも知れない。


つまり、昨日の税関での出来事は、結果的には、上記の「責任移転」を行政に対して行ってうまくいくかどうかの実験という要素を含んでいたということができる。そして、結果としてはそれがうまくいったのである。
現在、「責任移転」ができてしまう規則になっているということについて、それが問題だと思うのであれば、そう思う人は、自由に、その問題点を国会議員に対して指摘すべきであり、国会議員は、税関法を、そのような「責任移転」ができないように適切に改正するべきである。
法律に違反せずに、行政に対して、堂々と、本来自分の責任で行うべき行為について、「責任移転」ができてしまったという件に関する責任は、その特定の 1 人の「責任移転に成功した人」にあるのではない。その責任は、立法者、および立法者を選出した多数決に参加したすべての国民にあるのである。

Q10. 税関への「責任移転」に成功してしまったことをわざわざ日記に書き広く伝える理由は何であるか?

税関はすべての人に対して一般的に公開されている。秘密の場所ではない。
誰でも検証することができる。ソフトウェアでいうオープンソースに近い。思うに、税関の動作には少しバグがあるのではないかと思われる。そのバグは、私が見つけなくても、他の人が誰でも見つけることができる。誰でもそのバグを見つけることができるということは、私以外の誰かが、そのバグを私が公開するよりも先に見つけて、それを一気に大きく悪用することができてしまう可能性がある。


たとえば、密輸を目的に日本に帰国する人の集団が、今回のようなことを行って、わざと、税関の職員の手数を消費し、その間に、監視がゆるくなるので、密輸荷物を持った人が税関を通り抜けるということが、簡単にできてしまう可能性がある。


オープンソースソフトの動作にセキュリティ上のバグがある場合、それを一般に公表する前に、開発者だけに密かに通知し、開発者がそのバグを修正した後に、そのバグがあったことを一般に公表することが望ましいという意見がある。だから、私は、税関で集まってきた職員に対して、十分に問題を指摘したつもりである。


しかし、そこにいた税関職員は、誰も、これが彼らの問題であるということを認めなかった。あくまでも、おかしな旅行者が 1 人いるというような態度を貫き通した。旅行荷物の検査も、とてもいい加減だった。そこで、判断できる責任者はいないのかと税関職員に聞いたら、「私は責任者です。」と言われた。


その税関職員が、自分が税関業務の責任者だと言い張るのだから、私としては、税関に対して十分に指摘したが、最終的に、問題点に気づいてもらえなかったということになる。また、立法機関である国会は、現在開会していない。


これでは、もうどうしようもない。オープンソースソフトにおける開発者に対して問題点を指摘したのに、問題点をなかなか理解せず、また、その開発者しか責任者がいないという状況であるのと同様のこととして、この件は、日記に広く記載しようと思ったのである。そうすることにより、将来、このバグを突いて犯罪者が密輸をするようなことを防ぐことができれば幸いである。


日記の内容は、特定の空港の、特定の税関や担当者を非難するものではない。もともと、これは公益的事項であるので、事実を公然と指摘しても、名誉棄損にはならない。だから、空港や担当者を特定してここに実名を挙げることもできる。それをしないのは、特定の税関や担当者を非難することに興味はないためである。