ACについて (補足)

そういえば、先日の日記で、
「ACな人とそうでない人に二分するのはおかしい。十人十色というではないか。」
といったコメントなどをいただいたと思うが、ACの実態を知っていれば、そういう訳ではないということがお分かりいただけるであろう。
確かに、人は十人十色と言われるように、各人に個性や性格・趣向の違いがある。世の中に誰一人としてすべての属性が同一であるような人はいない。
しかし、『ACな人』の特性は、「十人十色」といった言葉で表される領域をはるかに超えている場合が多い。人の性格や考え方、特定分野における興味や能力などを仮に数値パラメータで表示することができるとすると、『ACな人』はそれらのいずれかがACでない人の取りうる値と比べて桁違い(10倍、100倍など)に違うことがほとんどであるようである。というか、そういう人たちをここでは『ACな人』と定義しているのである。したがって、『ACな人』とそうでない人は確実に二分可能である。

日本の人口に占める『ACな人』の割合は分かっていない。筑波大学では結構いると思われるが、そもそも筑波大学のような大学に来ようと思った人がACな人である確率は、日本全体における割合よりも高いようである。

『ACな人』は、多くの場合は特定の専門分野に極めて深い興味を持っており、専門的知識もある。また、基本的に問題解決能力というものが備わっており、専門分野において問題を発見し、解決方法を生成する能力がある。この点において、『AC』は「オタク」の要素を持っている場合が多いが、通常のオタクに比べて問題解決能力が高いことが特徴らしい。
『ACな人』は、特異な考え方や、普通の人が絶対に面白いと思わないような面白い行動をするのが好きな場合がある。また自己主張が強い傾向があるようである。行動が変な場合は、一般人から見て明らかにそれを見るだけでACであることがわかる。ただし、外見だけではACかどうかわからないようなACもいる。(芸術系・体育系など)

どのような場合も、普通の人がACと話してみると、頭がおかしい人と会話しているかのように感じられるであろう。実際に頭がおかしいのである。

『ACの法則』続き

前回の記事で、『ACの法則』、つまり1人の人物がACになるか否かを決定する法則があるのではないか、ということを書いたが、今回はその法則を明かしたいと思う。
なお、ここで言う「AC」とは、「必ずしも筑波大学にAC入試で入学した訳では無いが、『AC』な人たち」を指すものとする。

そもそも、『ACの法則』について何人かの情報学類生が考え始めたのは、結構前のことだったと思う。情報学類ではACが集まってプログラミングなどに関する議論をするリアルのコミュニティのようなものがあるのだが、そこで何人か集まっていて、「そもそも、ACっぽい人かそうでない人になるかは、どのような理由で決定されるのだろうか」という議論になった。これについて、当時は「生まれつき乱数で決定される」、「3歳までの家庭環境」とか、「家族構成」とかいう案くらいしか出なかった。
しかし、数人のACに実際に会って話を聞いてみると、それぞれ年少のころの家庭環境や教育内容、住んでいる地域や家族構成などはそれぞればらばらであり、特に関連性は無いように思われた。しかし、生まれつきその子が「ACであるか否か」決まっている訳ではないような気もした。

『ACな人』になるための決定的な条件は、これまで謎に包まれていた。しかしながら、先日ACな情報学類性たちの間で行われた会話が元で、ついに『ACの法則』の解決の糸口が発見されたのである。

原因は感電にある

ある1人の人が、生まれてから成長し、『ACな人』になるか『普通の人』になるかを決定する要素は、前述のように「家庭環境」でも「教育内容」でも「家族構成」でも無い。実は、以下の単純な法則で、その人がACになるかどうかが決定されるのである。

遅くとも13歳位までの間に誤ってまたは故意にコンセントなどに触って感電したことがある人は、AC になる。

そうでない人は、AC にならない。

この法則には、8割以上程度の正確性がある。

こんな単純な訳が無い! と思われるかも知れない。私も最初はこのような単純なことによってACか否かが決定されるはずがないと思っていたが、統計調査を進めていくうちに、どうやらこの法則は高確率で正しいのではないか、と思えるようになってきた。
統計調査結果は下に書くが、その前になぜこの法則でACになるか否かが決定されるのか。そもそもACという概念自体が筑波大学特有のものであって、これについて科学的に調べたような人はいないと思う。私も特にこういう現象に詳しい訳ではないが、ここで以下のような仮説を立ててみよう。


誤って (または故意に) コンセントなどに触れ感電すると、神経的ショックを受ける。

これが原因で一時的に頭がおかしくなる等して、その後特定の専門分野に関する深い興味や「問題解決能力」が備わり、AC
となる。

ただし、この方法で AC になれるのは、まだ心身が成長中である 14歳くらいまでの間 である。

おや、どうやら本当の事のように思えるのではないか?(私は本当だと思う。)

感電に関する調査結果

そもそも、『ACの法則は感電にある』という仮説は、情報学類生の間での会話で特に理由も無く「感電したことがある」といった体験の話になったことに始まる。そこに集まっていたACは、全員が「感電したことがある」と言った。また、その後来た、ACっぽくない一般人の情報学類性は、「感電したことはない」と言った。
そこで、「ひょっとして、感電すると頭がおかしくなってACになれるのではないか?」というひらめきが全員に浮かび、その後統計調査をしてみればよいという話になった。
普通の人はわざわざこのようなくだらない説を検証するために統計調査などするのは面倒であり馬鹿らしいのでやらないかも知れないが、私はもちろん『AC』であるので、実際にアンケート形式で統計調査を行った。

調査は、口頭または電子メールで行った。対象は、小学校〜高校時代の知人、大学生等、および大学の教授など。1日間しかかけていないので、30人弱にしか送っていないが、そのようなくだらない調査に協力してくださった方々に御礼申し上げる。

調査メールを送ったのは、すべて私が何度も会ったことのある方々である。もちろん、各人が『ACな人』であるか『一般人』であるかは、ほぼ確実に把握しているつもりである。

まず、結果は以下の通りとなった。






























現在の職業など AC度 詳細 感電の経験 感電の詳細 (あれば)
筑波大学助教 AC OS・分散システムの専門家 感電あり 漏電している電柱を触って遊んだ
筑波大学助教 AC OS・分散システムの専門家 (AC入試面接官) 感電あり 壊れたテレビを触った
筑波大学助教 AC データベース/業務処理系 感電あり  
筑波大学教授 AC アドミッションセンター 感電あり  
筑波大学教授 AC 情報系学類の学類長 (AC入試面接官) 感電なし 「記憶に無い」
電気通信大学教授 AC これはもうACに決まっている 感電あり 電池用のベルをAC100Vにつないだ
筑波大学工学システム学類3年 (SE社役員) AC 遺伝的アルゴリズム (AC入試合格) 感電あり 直流
筑波大学情報学類3年 (SE社監査役) AC 言語系AC (AC入試合格) 感電あり  
筑波大学工学システム学類1年 AC 電子工作系AC (AC入試合格) 感電あり コンセントに誤って触れた
東京大学文学部1年生 AC 中学3年の頃からACであった 感電あり  
慶応大学法学部2年生 AC 8年前から友人だがACに違いない 感電あり  
京都大学理学部2年生 AC 小学校の頃からACだった 感電あり 水槽ポンプのコンセントに触れた
筑波大学リエゾン研究センターの人 AC ACに違いない 感電あり コンセントに誤って触れた
某大学1年生 AC 中3くらいからACだった 感電あり 蚊取り器のコンセントに触れた
コンピュータサービス業 (社会人) AC ACの疑い濃厚 感電あり  
筑波大学工学システム学類4年 AC 工学系AC (AC入試合格) 感電あり  
私立高校教員 AC 漢文系AC (偉大) 感電あり 電球ソケットに誤って触れた
京都大学学生 AC オタクという噂有り 感電なし 1回も無い
浪人生 AC イタイイタイ 感電あり 1回だけある
某大学の1年生 一般人 自ら電波であることを認めているがACではない 感電なし 1回も無い
近畿地方の大学1年生 一般人 普通の人 感電なし 1回も無い
大阪府立大学1年生 一般人 かなり普通の人 感電なし 1回も無い
大学生(どこかはよく知らない) 一般人 極めて普通の人(だと思う) 感電なし 1回も無い
京都大学1年生 一般人 かなり普通の人 感電なし 1回も無い
神戸大学2年生 一般人 極めて無気力だが普通の人 感電なし 1回も無い
京都大学2年生 一般人 数学が極めてできるがACっぽくは無い 感電なし 1回も無い
大阪大学1年生 一般人 普通だと思う 感電あり 風呂で漏電
筑波大学情報学類2年 一般人 かなり普通の人 感電なし 1回も無い

設問は、小学校や中学校の頃に誤ってまたは故意に感電したことがあるかどうか、というものである。

結果として、『ACな人』の 18人中 16人は、『感電したことがある』と答えた。また、『一般人』の 9人中 8人は、『感電したことがない』と答えた。この結果によって、感電した経験と、大人になって『ACな人』になった割合は、明らかに相関性があるのではないかということになった。

反論への回答

さて、上記の法則についてはいくらかの反論をすでにいただいているが、それらは下記のような回答で解決することができると思う。

  • サンプル数が少なすぎる。偶然こういう結果になっただけでは?
    • サンプル数は少ないのは、短期間の調査でありご理解いただきたい。しかし、偶然このような結果になる可能性は低く、やはり何らかの相関性があるのではないかと考える。
  • ACな人でも感電したことが無いと答える人がいるし、その逆もいるのでは?
    • そのような結果もあるが、全体の2割以下であるので、やはり何らかの相関性があると思う。
  • 表の「AC度」は主観ではないのか?回答結果を見てから考えて決めたのでは?
    • 最初に分類してから、アンケートのメール等を送った。
  • 感電することによってACになったのではなく、すでにACな人は感電の記憶を覚えており、ACでない人はそのようなくだらない記憶は忘れようとするので、結果的にACは「感電したことがある」と答えている割合が多いだけではないか?
    • 「感電したことが無い」という回答をいただいたほとんどの人は、「1回も無い」、「そんなことするはずが無い」などという、はっきりとした回答をしている。普通の人が、本当は感電したことがあってもそれをよく覚えていないのであれば、「たぶん無いと思う」、「記憶に無い」などと回答すると予想されるが、はっきりとした回答をしているということは、本当に感電したことが1度も無い可能性が高いと思う。
  • 感電してACになるのではなく、「ACな人は感電してみたいと思うのでわざと感電する」ことにより、結果的にこういう結果になっただけでは?
    • ACな人でも、半数程度は「誤って感電した」と回答している。

結論

この法則が正しいかどうかはわからない。正直言って、1日間や2日間の議論や簡易的な調査の結果によって立てられた仮説である。しかし、人がACになるか否かを決める決定的な条件としては、これまで『これは!』といったものが発見されなかったことを考えると、今回の発見はAC学的(?)に大変意味のあるものであるのではないか。
今後機会があればより広い調査をしたい。そもそもプログラミングの仕事があるのにそれを放ってこのような調査をやっている自分自身が極めてACである。