(仮説)『ACの法則』の発見

大抵の場合、ある人に出会うとその人が(広義の)ACかどうかは、直感的にわかるものである。そしてほとんどの場合その直感は外れることは無いようだ。ACな人は、行動や言葉・考え方やレスポンスなどに特有の性質を持っている。
これまで何百人の人に会ってきたと思うが、それらの人々は「AC」か「ACでない」かどうかの2通り、つまり Boolean 型的に完璧に分類することができる;中間層は存在しない。必ず、ACかそうでないかに二分することが可能である。

ところで、ACな人とそうでない人の違いは何であろうか。つまり、同様な生命体として誕生する各個人について、どのような要因によって「ACになるか」、「ACにならないか」が決定されるのであろうか。これまで数多くの両パターンの方々とお会いしたが、どうも「これは!」という決定的な特徴点が見つからなかった。

つまり、これは、たとえば子供ができた親などが、「うちの子を立派なACに育てたい!」などと所望した時において、どのようにすればその子供がACに育つのか、という議論の答えとなるべきものであり、これこそまさに我々のような既にACになってしまった人たちが必死で求めているものであろう。

ある人が、成長の過程でACになるか、ACにならずに普通の人になるかは、何らかの共通の法則によって決定されるはずである。ここで、この法則が存在すると仮定して、『ACの法則』と呼ぶことにしよう。

私の個人的な考えでは、『ACの法則』が存在する場合、つまりACになるかどうかを決定するポイントがあり、ACになるかどうかは大体 12、3歳位の頃までに決定されるものであると考える。

この『ACの法則』、つまり普通に生まれてきた人がACになることを決定する法則さえわかれば、たとえば文部科学省などが小学校教育過程などにおいて、日本国内でACを大量に育成するような施策をとることも可能ではなかろうか。