VPN Gate サービスの提供は検閲用ファイアウォール設置国の主権の侵害であるか

VPN Gate サービス http://www.vpngate.net/ は、検閲用ファイアウォールの国内の利用者が、本来閲覧することができない Web サイト (TwitterYouTubeFacebook など) を閲覧するために使用することができるサービスである。そのため、「VPN Gate サービスを提供する行為は、検閲用ファイアウォールが設置されている国に対する主権の侵害である」という意見が寄せられることがある。この意見は一見するとなんとなく正しいように聞こえるかも知れない。そこで、今回は「VPN Gate サービスの提供行為は、検閲国の主権の侵害であるか ?」という疑問について考えてみる。なお、私は技術者であり、非技術的な事項に関しては不勉強であるので、以下で使用する用語や事実関係について間違いがあるかも知れない。より正確な知識を得たい方は、インターネットで検索するか、専門書などをお読みになることをお願いしたい。

まず、「主権」とは何であるか考える。「主権」の概念が最初に登場したのは 1648 年に成立した「ウェストファリア条約」であるらしい。その当時はヨーロッパの多くの国は絶対王政であり、王が管轄領域においての物と人との支配権を持っていた。その支配権を一般化して「主権」と呼んだ。絶対王政以外の統治形態が普及した現在においても、「主権」とは、その国家が「領域」内のすべての物と人とを支配する権力であることに変わりはない。ここで「領域」とは、ある国家に属する、領土、領海、領空、およびその国に登録されている航空機の機内などの物理的スペースのことである。「物を支配する権力」とは、その領域内にある物体について押収したり、留置したり、破壊したりすることができる物理的な強制力を行使しようとすれば行使できる力を意味する。これには、領域に外から物が入ってきたり、外に物が出て行ったりする際にそれを禁止したり、物を押収して処分したりする力も含まれる。「人を支配する権力」とは、その領域内にいる人に対して何かを禁止したり、何かを命じたりして、それらの禁止や命令に従わない人には物理的な強制力をもって従わせ、それでも従わない人には刑罰を課すことを予告することにより無理やり従わせることができる力を意味する。また、領域に外から人が進入しようとしたり、領域の外に人が退出しようとしたりする際に、それを禁止したりする力も含まれる。「主権」の行使においては、物理的な強制力を直接行使する場合と、従わなければ物理的な強制力を行使すると予告した上で人を従わせる場合とがある。いずれも物理的強制力が関係する。物理的強制力が一切関係しない「主権」の行使というのはあり得ない。

次に、「主権の侵害」とは何であるか考える。侵害がない通常の状態では、主権はある国の主権者によってコントロールされている。たとえば日本の場合は市民が主権者であり、市民が投票して選出した議員が法律を作成し、行政を組織する。行政機関は法律で許される範囲でのみ、物理的強制力を行使できることになっている。「主権の侵害」とは、ある国の主権者以外の者が、当該国に対して物理的強制力を行使することである。または、物理的強制力を用いて、当該国が本来行使できるはずの主権を行使できないように妨害することである。分かりやすい例として、ある国の領域内に落ちるようにして別の国がミサイルを発射してくる行為がある。ミサイルは、落下地点の人や物を支配 (この場合は、破壊) することができる物理的強制力の 1 つであるので、ある国の領域内にミサイルを落とす行為は、当該国の主権者が自らそれを行う場合、または主権者が予め同意している場合にのみ許される。それらに該当しない外国からのミサイル発射行為は、着弾先の国の主権を外国が侵害しているということになる。ミサイルが仮に領域内に落下しない場合であっても、ひんぱんにミサイルを発射することで、相手国の主権者に対してその意志に反した行動を行うよう要求することは、同様に主権の侵害である。主権者に対して、主権者自身が望まない主権の行使をさせること、主権の行使の妨害を行うこと、主権者自身が望んでいないルール (法律) を主権者が制定するよう押し付けること、などが主権の侵害である。これらのことを主権者以外の者が行うよう外部から物理的強制力により要求してきたら、それはいわゆる「内政干渉」と呼ばれる。たとえば、貴国である法律を制定しなければ軍隊で攻め込むと脅せば、それは主権の侵害であり、内政干渉である。物理的強制力の行使を告知しているためである。一方、貴国である法律を制定しなければ貴国に対する我が国からの石油の輸出を停止すると告知しても、それは主権の侵害でもないし、内政干渉でもない。物理的強制力を行使していないためである。

つまり、「主権の侵害」を一言で説明すると、ある国の主権者以外の者が、物理的強制力を行使するか、行使すると脅すことにより、当該国の人や物を実際に、または実質的に支配している状態である。これに該当する行為は主権の侵害であり、それ以外の行為は主権の侵害ではない。

したがって、「検閲用ファイアウォールの設置されている国のユーザー向けの VPN Gate サービスの提供」が、対象国の主権を侵害するかどうかを分析するために鍵となる問題は、「VPN Gate サービスの提供は、物理的強制力の行使であるか」の 1 点だけである。仮に VPN Gate サービスの提供が検閲国に対する物理的強制力の行使でなければ、VPN Gate サービスの提供は主権の侵害行為ではない。

VPN Gate サービスの提供」は、検閲国に対する物理的強制力の行使であるか。たとえば、ある検閲国において主権者が「我が国において VPN Gate サービスの提供行為を禁止する」という法律を制定しており、違反しているサービス提供サーバーは押収して破壊することができるとする。この場合、当該検閲国にサービス提供サーバーを設置し、かつ、そのサーバー装置を、主権者 (警察など) がやってきて押収して破壊しようとしたときにこれを物理的強制力によって妨害すれば、それらの一連の行為は、主権の侵害となる。たとえばある検閲国の領域内の土地にデータセンタを建設し、主権者の同意なしに勝手に軍隊を進駐させデータセンタの周囲を防衛し、そのスペースにサーバー装置を設置して、そのサーバー装置をその検閲国の国内のインターネットに強制的に接続し、それらの行為を止めさせるために当該検閲国の警察官が現場に駆け付けたときに軍隊によって抵抗すれば、それらの一連の行為は「主権の侵害」である。

しかし、VPN Gate サービスのサーバーは、検閲国の国外で稼働しており、インターネットを通じて、検閲国の内部のユーザーが国外にある VPN Gate サービスのサーバーに接続することができるようになっている。この場合は、VPN Gate サービス提供者は検閲国に対して何らかの物理的強制力を行使していない。仮に VPN Gate のクライアントプログラムがワームになっており、検閲国の国内に勝手に入り込んで、VPN Gate を利用したいと考えているユーザーだけではなく、任意のユーザーのコンピュータに感染活動を行うようになっていたとしたら、これは検閲国の国内にある物を勝手に支配することができる力を VPN Gate サービス提供者が行使していることになり、主権の侵害であるという主張が通るかも知れない。近年、標的型ウイルス等を用いたサイバーテロ行為は物理的強制力の行使であるという考え方が認められつつあることから、プログラムの送付や不正データの送信などであっても、間接的に送付先のコンピュータをソフトウェア的に乗っ取り誤作動させることになれば物理的強制力の行使であるという論がある。だが、現在の VPN Gate のクライアントプログラムはワームのように勝手に感染して興味のない人のコンピュータに増殖する訳ではない。送付先のコンピュータをソフトウェア的に乗っ取り誤作動させることもない。VPN Gate のクライアントプログラムは、VPN Gate を自主的に使用したいと欲する人だけがダウンロードしてインストールするものである。そのため、VPN Gate は検閲国の国内に対していかなる物理的強制力も有していないし、行使もしていない。

なお、そもそも VPN Gate サービスにおいては、ユーザーは VPN Gate のクライアントプログラムをダウンロードせずに、OS に標準付属の VPN クライアントを使用して、VPN Gate の中継サーバーに VPN 接続することもできる。(http://www.vpngate.net/ja/howto.aspx を参照。) この場合に使用されるのは OS 内部に最初から入っている VPN クライアントである。ユーザーは VPN Gate の Web サイトから稼働中の VPN サーバーの IP アドレスをどれか 1 つ取得して、それをコピー & ペーストすれば、VPN 接続が可能である。この場合はそもそも検閲国内に向けた VPN Gate Client のプログラムの配布行為は行っておらず、WindowsiPhoneAndroid に付属の VPN クライアント機能が使用されているに過ぎない。このような利用形態の VPN Gate ユーザーが検閲国内におり、そのユーザーが VPN Gate サービスを利用できていることについて、VPN Gate サービスが当該国に対して主権侵害をしているという主張は明らかにおかしい。その主張が仮に正しいとすれば、WindowsiPhoneAndroid に最初から付属している VPN クライアントがその検閲国の国内に輸入された時点で、それらの OS の開発者が検閲国の主権を侵害していることになってしまう。

検閲国内に、たとえば「何人も、検閲用ファイアウォールを回避する一切の行為を禁止する。これに違反する行為は警察により停止させられる。また従わない者には罰則を科す。」という法律があるとする。この場合に、その国の市民に対して、VPN クライアントソフトウェアを提供したり、OS 付属の VPN クライアント機能を使用するための国外にある VPN 中継サーバーの IP アドレスを教えたりする行為は、その検閲国の主権を侵害することになるだろうか。仮にその国の市民が教えられた通りに VPN クライアントソフトウェアを使用したり、OS の標準機能を使用して国外に VPN 接続したりしたとき、当該国の主権者は権力を行使し、捜査を行うことができる。そして、各ユーザーの自宅をそれぞれ家宅捜索し、VPN 通信を行っているコンピュータを特定して、それを 1 台ずつ破壊したり押収したりすることができる。また、VPN 通信を行っていたものを逮捕することができる。VPN クライアントソフトウェアや、OS 付属の VPN 機能などには、上記のような主権者の権力 (= 物理的強制力) の行使に対抗することができる物理的強制力は備わっていない。VPN の利用が禁止されている検閲国において、主権者の持つ物理的強制力に対抗することができない各市民の立場は、どのように VPN ソフトウェアを使用したとしても、それを違法として捜査し押収することができる主権者に対抗することはできない。検閲国の市民が VPN を使用する方法を国外の人が教えたり、VPN ソフトウェアを提供したりする行為には、検閲国の主権を侵害する物理的強制力の行使の行為を伴わないため、主権の侵害にはならない。

ここまで VPN Gate について述べたが、そもそも、仮に VPN Gate のような「海外に中継サーバーを設置することにより、検閲用ファイアウォールを回避するためのサービス」の提供が検閲国の主権侵害であるという主張が万一にでも正しいとなれば、大変なことになる。世界中にある多くのインターネットサービスプロバイダ (ISP) は、検閲国の主権を侵害していることになってしまう。

世界中にある多くの ISP は、オンラインサインアップ (クレジットカード番号を入力すれば、その場で PPP 接続するための ID とパスワードが発行される) 機能がある。検閲国内の市民でクレジットカードを持っている人や、VISA デビット番号発行サービスを利用できる人は、外国の ISP のアカウントを取得することができる。PPP のアカウントを取得した人は、検閲国内から国際電話をかけ、外国の ISP のダイヤルアップ・アクセスポイントに IP 接続することができる。IP 接続が完了すれば、当該 ISP のある国の IP アドレスを用いてインターネットに自由にアクセスできる。この際、検閲国内にある検閲用ファイアウォールは通過しないため、普段見ることができない Web サイトを自由に閲覧できる。これは今に始まったことではなく、15 年前からずっと可能であったことである。このように、検閲国の市民に対して、検閲用ファイアウォールを回避することができる中継点を国外に設置することを、その検閲国に対する主権の侵害であるというのであれば、検閲国から国際電話をかけることができる世界中のすべての国の、クレジットカードで PPP 接続 ID とパスワードを発行しているすべての ISP は、検閲国の主権を侵害しているということになる。それは明らかにおかしい。そして、VPN Gate のような VPN サービスにおける海外に設置された VPN 中継サーバーと、検閲国内からダイヤルアップ接続可能な PPP サーバーとの間に違いはない。このように考えれば、VPN Gate のような VPN サービスが検閲国の主権を侵害しているという論はかなり無理があることが容易に想像できる。

国際ダイヤルアップ接続可能な海外 ISP に対して、検閲国が現状検閲を行うことができないとしたら、それは国際ダイヤルアップ接続可能な海外 ISP の責任ではなく、検閲国の努力不足にある。検閲国は、現行の技術があれば、すべての国際電話回線をきちんと盗聴して、ダイヤルアップのモデム音からデジタル信号を取り出し、それが TwitterFacebookYouTube を通信先とする HTTP 通信であれば国際電話を切断する、という装置を、すべての国際電話回線に取り付けることができる。そうすれば、検閲国の現状の検閲用ファイアウォールと同等の規制を国際電話回線におけるダイヤルアップ接続に対して強制することができる。ただし、これには予算がかかる。検閲用ファイアウォール管理者が予算不足であり、すべての国際電話回線のダイヤルアップ信号を分析してファイアウォール規則を適用することができないのであれば、代わりに、すべての国際電話回線を廃止させ、国際電話回線の新たな敷設を禁止することも可能である。これらは主権者による正当な物理的強制力の行使である。すべてその国の主権者の意向によって自由に行うことができる。一方、主権者がたとえば外国との国際電話回線をすべて撤去してしまった場合において、外国の企業や政府が、その国の市民に対して代わりの国際ダイヤルアップ接続を何としてでも提供しようと思う場合は、その検閲国に物理的強制力を持って強制的に国際電話回線を接続しに行く以外に方法がない。「主権の侵害」は、そのような物理的強制力の行使を行う際に初めて問題になるのである。

同様に、検閲用ファイアウォールが、VPN Gate のような海外のインターネット上にある中継点を経由して検閲国の市民が自由にインターネットを閲覧することを規制することがうまくできていない状況となっている責任は、VPN サービスの側にあるのではない。規制がうまくできていない責任は、検閲国の検閲用ファイアウォールの管理者にあるのである。管理者が検閲用ファイアウォールの能力不足を放置し、強化を怠っているから、海外にある VPN サーバーを経由した自国市民の通信を完全に遮断できていないのである。このような検閲用ファイアウォールの管理者に帰責する問題を、責任転嫁し、あたかも VPN サービスを提供する側が当該検閲国に対して主権を侵害しているのであるとする論は、間違いである。主権者は自己の費用負担により検閲用ファイアウォールを強化すれば良いし、もしそれができなければ、国内にあるすべての海外へのインターネット接続回線を、主権者の物理的強制力の行使によりすべて切断してしまえば良い。そうすれば、自国の市民がインターネットと VPN を経由して TwitterFacebookYouTube を通信先とする HTTP 通信を行うことを禁止することができる。これを妨げる技術的な原因は何一つない。VPN Gate のような VPN サービスは、主権者が望めばどのようにでも VPN 通信を遮断することができる状況にあり、VPN サービス提供者側は、何らかの物理的強制力を行使してそのような主権の行使を妨害していない。したがって、「主権の侵害」であるとするために必要な「物理的強制力の行使」という条件を満たしていないので、VPN Gate はいかなる検閲国の主権も侵害していない。

上記をまとめると、VPN Gate はいかなる検閲国に対しても物理的強制力を行使していないし、行使する旨を告知して当該国の主権の行使を妨げることもしていないから、いかなる検閲国の主権も侵害していないと言うことができる。