インターネット世代の現役学生や新入社員は、すでに会社や国を信用していない

現在、二十歳前後の、インターネットの成長と共に育って大学で勉強をしていて、もうすぐ就職しようとしている学生のうち、社会で有益な活動をする能力がある程度に頭が働く人たちは、すでに、会社や国のことを信用していません。会社や国は便利なサービスを提供してくれる存在であるが、必ずしも安定している訳ではないから、会社や国に頼らないように気をつけなければならないと考えているようです。


5 年前、10 年前の世代と比較すると、現在の二十歳前後の世代は、過去の 5 年上、10 年上の大学での先輩などが会社に入っていろいろ知ってしまったことを大学で伝え聞いているし、また、それだけではなく、個人と会社、個人と国という関係がこの 10 年間くらいで大きく変化してきていることを成長と共に体感している訳なので、それだけ感覚が鋭いようです。


最近の社会の流れについて考えると、「個人」と、個人の活動をサポートするための存在である「国」や「会社」などの組織との間の関係性の今後の推移は、インターネットユーザーと ISP との間の関係の過去の推移を振り返ることで、ある程度予測できるようです。

本来は、国や社会システムなどは昔からあり、インターネットという仕組みは最近できたものですので、インターネットの流れを見てからそれを国や社会に当てはめるのは順番が逆なのですが、現在の二十歳前後の世代の人たちは、インターネットの成長と共に育っている訳ですので、インターネットの成長の流れのほうが本流で、国や社会システムなどの流れはインターネットの流れのほうを真似しているというように見えるという訳です。


インターネットの成長と共に成長した世代は、『個人 - 国』の関係や『個人 - 会社』の関係を以下のように見ます。

『個人 - 国』の関係は『ユーザー - ISP』の関係と同じ

個人は、それぞれ、色々な活動を行います。自分の生存のために必要な収益活動や、その他の富裕的な所得を得るための経済活動のほか、人生を豊かにするための色々な趣味を行います。こういった活動を行うことが各個人の生きる目的であると言えます。個人は、通常 1 箇所の国の国籍を有し、その国を基盤として活動をします。複数の国で永住権を持っていて、常に世界を飛び回って活動している人も増えてきています。


個人のこのような活動をサポートするためのインフラを安定して安全に提供するためのサービスを提供するのが、国の役目です。それぞれの個人が個別にインフラを整備したり、犯罪者から自分の身を守ったりするのは大変なので、ある程度のインフラの整備サービスや警察サービスなどは国に税金という形のサービス料金を支払って委託しています。


物理的な世界で活動をする個人をサポートするインフラ業者である国の存在は、インターネットという仮想的な世界で活動をするユーザーをサポートするインフラ業者である ISP (プロバイダ) とよく似ています。

当然、インターネットや ISP というのは、物理的な国などよりも後に出てきた概念であり、その概念の形成には従来の国と個人との関係が色々と参考になってきていたものと思いますが、インターネット世代では、社会システムの認識よりも先にインターネットシステムを認識して育っていますので、理解する順番が本来とは逆になる訳です。


インターネットの世界では、ISP はいくつかのレイヤに分けたサービスをユーザーに提供します。ISP の最も基礎的なサービスは、インターネットへのアクセス回線を提供することです。しかし、それ以外のよりレイヤの高い付加サービスも提供しています。たとえば、あまりリテラシーの高くないユーザーに対しては、ISPドメイン名 (biglobe.ne.jp) の電子メールアドレスを発行したり、そのメールサーバーのメールボックスを提供したり、ISPドメイン名の下にホームページを開設することができる Web サーバーを提供したりします。
一方、自分でドメインを取得して、サーバーも自分で管理運用したりすることができるリテラシーの高いユーザーは、ISP のこのようなサービスは必要としません。自分でサーバーを立ち上げたり、ISP とは別のレンタルサーバー事業者のサーバーにリモートログインしてサーバーを構築したりします。最近ではさくらの VPS とか Amazon EC2 などが流行っています。


ユーザーが ISP の提供する付加的サービス (メールサーバーやホームページスペースなど) に頼ってこれを利用することは、現在の国の付加的なサービス (福祉サービス、国営の施設など) に頼ってこれを利用することと同一です。ユーザーがリテラシーが低い間は、これらのサービスはとてもありがたい存在です。
たとえば、ISP のメールサービスを利用するユーザーはメールサーバーのデータのバックアップ方法を知らなくても、ISP が責任をもってユーザーデータをバックアップしてくれます。もしメールサーバーのハードディスクがクラッシュしてしまっても、しばらくすれば、一日前のデータに書き戻してもらえます。
また、ISP のホームページスペースを利用するユーザーは難しい Apache の設定をする必要はありません。Apache の設定を間違えたりパーミッションをおかしくしてしまってホームページが停止したり誰かに不正に書き換えられたりする心配もほとんどありません。

つまり、ISP の付加的サービスを利用することのメリットは、普段からバックアップや基礎的な知識の習得などの備えをしていなくても、いざ大変な事故が発生したら、ユーザーは放っておいても ISP が何とか保護してくれる、ということが挙げられます。


個人と国との関係も同じです。個人が普段、健全に生活している場合は良いですが、万一、万一、大事故に遭ったとか、災害で財産が流されてしまったとかという時は、国の福祉サービスに頼ることができ、健康保健や障害者年金、生活保護などのバックアップ的サービスを受けることができます。これは大変ありがたいことです。


しかし、このような付加的な安心サービスに頼り切ってしまうことには、2 つのデメリットがあります。


1 つ目のデメリットは、このような付加的な安心サービスの提供を受けるには、常時、サービス事業者に対して料金を支払わなければならないという点です。そして、サービス事業者が何らかの理由で値上げをすると将来言い出す可能性があります。
その場合でも、このような安心サービスに頼り切ってしまっている場合は、提示された値上げに逆らうことはできず、半ば強制的にその値上げ後の料金を支払わなければならなくなってしまいます。
現在の安心サービスに頼れば頼るだけ、将来、サービス事業者に強制的に徴収されてしまう料金は増大します。


2 つ目のデメリットは、このような付加的サービスを ISP や国が現在提供しているからといって、よくよく考えると、それが実は全く安心できる保証がないという点です。
たとえば、ユーザーと ISP との関係でいうと、ISP は将来、やむを得ず倒産することがあります。その ISP に加入しているユーザーの数が減少したり、運営コストが増加したり、または ISP の管理するシステムに大規模な事故が発生して長期間システムが停止したりした場合は、その ISP は倒産します。あの ISP は実は長期負債をかなり抱えていて財務状況に問題があるからそのうち倒産すると思うという噂が流れることで、ISP からのユーザーの流出が加速し、それが原因で ISP が倒産する可能性もあります。
ISP の社員が ISP のサーバーや回線の運営費用に充てるべきお金を私的に利用して、自分たちの福利厚生に使ったり、ISP 社員の定年退職金に回したり、ISP 社員退職者 OB 協会のようなものを作ったりしてそこに横流ししたりすることで倒産するかも知れません。
ISP が倒産しますと、その ISP の管理運営していたサーバーは停止します。ユーザーはいつでも他の ISP に移行してインターネットへのアクセスは継続できますが、元の ISP のメールサーバーや Web サーバーに頼っていたユーザーは、それらのサーバーのデータにアクセスできなくなるだけではなく、ISPドメイン名で識別されていたメールアドレスや URL も一瞬で消滅してしまい、以後、インターネットを用いた活動に深刻な影響が出ます。


つまり、ISP が提供する付加的サービスに一度頼ってしまうと、ISP が値上げをしてきたときにもそれに従わざるを得なくなります。メールサーバーにはメールの自動転送機能がないとか、シェルにログインできないとか、Web サーバーで PHP が動作しないとか、MySQL が動かないとかいった不便な点が自己の ISP に見つかったとしても、すでにその ISP でメールアドレスや Web サイトを長年運営してきてしまっている身としては後の祭りです。元の ISP のメールアドレスや URL を長い間使っていれば、より条件の良い他の ISP に引っ越すことは難しくなってしまいます。もし引っ越す場合でも、元の ISP にアドレスを維持するために、無意味に長年の間、月額料金を支払う羽目になってしまいます。
そうして ISP に長年料金を支払ってきても最後には倒産してしまうということになるのです (昔はネット難民と言われていたと思います)。


これと同様に、個人は、国が提供する付加的サービスに一度頼ってしまうと、国がサービス料金 (税率) を値上げをしてきたときにもそれに従わざるを得なくなります。この国にはへんな規制があるとか、公務員の仕事が遅いとか、色々な申請手続きが煩雑だとかいった不便な点が自己の国に見つかったとしても、すでにその国で自己の住所や生活基盤を長年運営してきてしまっている身としては後の祭りです。元の国のサービスを長い間使っていれば、より条件の良い他の国に引っ越すことは難しくなってしまいます。もし引っ越す場合でも、元の国にも基盤を維持するために、無意味に長年の間、サービス料金 (税金) を支払う羽目になってしまいます。
そうして国に長年料金を支払ってきても最後には国も倒産してしまい、社会が破綻すると、ネット難民ではなく、本当の難民になってしまう可能性もあります。


このように、『個人 - 国』の関係は『ユーザー - ISP』の関係と似ているということができます。
インターネットのユーザーの場合は、インターネットを使ううちに、勉強熱心な人で、あまり ISP の付加的サービスに頼りたくないと思っている人ほど、独自ドメインを取得したり、メールや Web のサーバーを汎用的なレンタルサーバー業者のものを利用することでできるだけ ISP に依存しないように構築したりします。独自ドメインがあれば、レンタルサーバー業者が倒産したり、月額料金や技術的な性能・機能を不満に感じたりしても、直ちに、元のレンタルサーバー業者を解約して、別のより優良なレンタルサーバー業者と契約することができます。そして、それによってネット上での生活基盤は失われることはありません。
そして、インターネット上を見ると、数年前までは独自ドメインを取得してメールアドレスを所有したり Web サイトや blog を構築したりする人は少なかったところ、最近は非常に多くの人が独自ドメインを取得し、通信に使用している ISP 以外の、優良なレンタルサーバー業者と契約してメールボックスや Web サイトや blog を所有しています。


普段は 1 つの ISP だけを使っていても、たとえばその ISPドメインのメールアドレスやホームページスペースを利用せずに、独自ドメインを利用するなどして日常から注意しておけば、ISP の料金が値上げされたり、サービス品質が悪くなったり、倒産したりしても、ほとんど影響なく活動を継続することができます。


これと同様に、『個人 - 国』の関係について考えると、国というのは前述のように、個人の活動をサポートするサービスを提供する業者のようなものですので、最初のうちは誰でも国にできるだけ頼れば良いのですが、いざという時のために備えて、いつでも、その国のサービスに頼らなくても活動を継続することができるような状態をできるだけいつも維持しておいたほうが良さそうです。


普段は 1 つの国だけを使っていても、たとえばその国の福祉などの付加的サービスにはあまり頼らずに、独自にバックアップ手段を考えるなどして普段から備えを怠らないようにしておけば、将来、国のサービス料金が値上げされたり、サービス品質が悪くなったり、破綻したりしても、ほとんど影響なく活動を継続することができます。


そして、インターネット上において、昔は ISP の提供するサービスに依存して活動していた人たちが、独自にサーバーを借りるか立ち上げるかしてより安定・独立した形でインターネットを利用するようになった流れを振り返りつつ、現在の個人や民間事業者と国との間の関係を俯瞰すると、今後は、個人や民間事業者はできるだけ国の付加的サービスには頼らずに、ある日突然、国が機能麻痺したり、財務状況がおかしくなったり、破綻したりしても良いように、それぞれが勉強してリテラシーを高め (サーバー上の Apache を自分で設定する方法を勉強したように)、備えをしていくものと思われます。この流れは日本だけではなく世界中のほとんどの個人や事業者に自然に発生するのではないかと思います。


重要なことは、普段から国の提供する付加的なサービスにできるだけ頼らないように努力するということだと思います。
インターネットを始めたころのユーザーが、最初は ISP の付加的サービスに頼るのは、楽で良いことだと思います。これと同様に、生まれたばかりの人が、二十歳くらいになるまで国の提供する色々なサービスに頼るのも楽で良いことだと思います。しかし、インターネットを何年もやっていて 1 社の ISP サービスに頼り続けるというのはよくありません。同様に、何十歳になっても国の提供する色々なサービスに頼り続けて生活するのもよくありません。生活している間は別に悪いことはないのですが、いざという時に大変困ってしまいます。


昔からのインターネット世代のユーザーの多くは、突然、自分の Web やメールアカウントを置いていた ISP のサーバーが障害で何日間も止まったり、倒産して消滅してしまったりしたということを経験しているので、実は、インターネットなどやっていなかった人と比較して、こういったことに関する危機感と理解度が高いのかも知れません。

『個人 - 会社』の関係も同じ

個人の目的は活動することであり、国の目的は個人の活動をサポートするサービスを効率的に提供することであるのと同様に、会社の目的も、その会社の社員各個人の活動をサポートするサービスを効率的に提供することであると言うことができます。


会社には複数の社員 (ここでいう社員とは、役員および従業員のこと) が所属しています。会社とは単なる法律上の人 (法人) であり、会社があるだけでは何も活動はできません。すべての活動は、会社に在籍している社員 (複数人の個人) によって行われます。


現代の社会では、個人や個人グループだけでできる活動もありますが、個人や個人グループだけでは難しい活動も多くあります。たとえば、実現するために多額の初期投資が必要な活動などです。このような場合は、会社を立ち上げるか、既存の会社に参加し、個人的には調達することができない多額のお金や設備などを利用して、実現したいと考えていた活動を行うことができます。
また、複数人で 1 つの社屋や設備を共有することで、個別にそれらを購入する場合と比較して安価にそれらを利用できます。
さらに、1 箇所に複数の個人が集まることで情報交換やコミュニケーションが進み、活動が効率的になります。


このように、個人の活動をサポートするというのが、会社の役割です。
会社は個人に対して、本来各個人が調達しようとするとものすごく努力が必要か、または事実上調達不可能な設備やサービスを提供します。労働環境や予算といったものはこれにあたります。個人はそれを活用して、1 人または複数人でプロジェクトを遂行します。活動の結果得た利益は、100% すべてを各個人が取得するのではなく、会社に対してサービス利用料としての対価を支払った上で残りの部分を給与として受取ります。100 万円の仕事を受注して 1 ヶ月で納品して、給料として 50 万円もらった、というのは、残りの 50 万円が会社に対して支払ったサービス料金のようなものだと考えることができます。国に対する税金のようなものです。


そうすると、個人と会社の関係は、個人と国の関係、または個人と ISP の関係とだいたい同じであるとみなすことができます。


ということは、個人が ISP を利用する場合、または個人が国のサービスを利用する場合は、ISP や国が提供するサービスにあまり過度に依存し過ぎてはいけない、という注意事項は、そのまま、個人と会社の関係においても当てはまります。


ISP が突然、月額料金を値上げすると言い出したり、国が突然、税率を値上げすると言い出したりするのと同様に、会社が突然、社員の活動を源泉とする収益のうち会社が取得する割合を値上げすると言い出す可能性があります。
100 万円の仕事を受注した社員が 50 万円の給料をもらえると思っていたのに、給料が 30 万円に下げられた、というのは、会社が要求するサービス料が 50 万円から 80 万円に突然値上げされてしまった、ということを意味します。


このような場合、普段からあまり会社に頼らないような心構えで活動をしてきていた社員の場合は、そのような会社に対して支払うサービス料の値上げ (自分の給料の値下げ) は非合理であるとして、会社と対等に交渉することができます。
もし、会社との交渉が決裂したとしても、普段から会社に頼らないような心構えで活動してきた社員は、すぐに別の会社へ行ったり、新たに事業を起業したりする準備ができていますので、堂々と交渉をすることができます。会社の側もそれを知れば、そのような優秀な社員を失わないようにしたいと考えるため、社員の要求をある程度受け入れます。


しかし、普段から自分は会社の一部であって会社に奉仕するのが当然であるという間違った考え方で長年従属してきた社員の場合は、会社に対して対等に交渉をするという発想そのものが湧かないと思われます。もしそのような発想が出てきたとしても、普段からあまり会社に頼らないような心構えで活動をしてきていない訳なので、準備ができていません。そのような時から慌てて準備をしようとしても大抵手遅れです。
会社側としては、そのような社員の生活基盤は会社が押さえていることをよく把握していますので、そのような会社に頼り切ってきた社員に対しては、より会社の側の言い分を通しやすく、結果として、そのような社員の給料は低く、労働条件は悪くなります。それでもそのような社員は準備をしてきていなかったので他に脱出することはできず、結果的に半ば強制労働のような形でその会社でのみ永久に働かされます。
さらにその会社が倒産したり、倒産する前にその社員を解雇したり可能性があり、そうなってしまうとその社員の生活基盤は破綻してしまいます。


日本の多くの会社が戦後採用してきた、強制貯蓄制度 (年功序列) や終身雇用制度などのレガシーな制度は、現在の高校生、大学生の世代から見れば、ほとんど冗談のように見えており、誰も信用していませんが、つい数年前までは、こういった制度を信用していた人が結構多くいました。
これらの制度のメリットは、会社の業績が常に増加し続け、かつ、低賃金で働く若い新入社員の数も常に増加し続ける間は、大変安心して 40 年間の勤労生活を送ることができるという安心間を社員に対して提供することができるという点にありますが、デメリットは、会社に対して生活基盤を頼り切ってしまうという隷属的な社員をたくさん生み出してしまうという点にあります。


これらの旧来の制度の存続条件が満たされなくなり、崩壊しつつある理由は簡単です。
現在の日本は、会社の業績が増加し続けることは稀なことであり、また低賃金で働く若い新入社員は、強制貯蓄制度 (年功序列) や終身雇用制度などをほとんど冗談のようなものだと認識しているので、頭の良い若い学生は、そもそもそのような制度を公然と掲げている会社には入社しないか、または入社してもすぐに実態を知って辞めてしまいます。そのため、あまり能力の高くない、そして会社に対して生活基盤を頼り切ってしまいたいと考えている、若い寄生虫のような人だけがそのような会社に入っていきます (優秀な学生も入ることはありますが、すぐに嫌になって出て行きます)。寄生虫のような人たちだけが残った会社が何を生み出せるでしょうか。

共同体としての国や会社の役割は無くなる

上記のように、国や会社というものは、個人に対して、活動がしやすいようなサポートサービスを提供するためのサービス業者、ISP のようなものである、という意見を言うと、考え方が古い人たちの中からは、いや、国や会社にはコミュニティ (共同体) という機能が別にあってそれが重要なのである、という反論をしてくる人がいます。
ISP は共同体を構成する要素ではないから、個人と国や会社との関係を、個人と ISP との間の関係と同一視するのはおかしいという反論です。


しかし、実は ISP 事業者が共同体であった時代というのが昔ありました。
現在の大手の ISP である NiftyNEC Biglobe などは、もともとパソコン通信サービスである NIFTY-ServePC-VAN などを起源としています。米国にも CompuServe や AOL などがあったと思います。


NIFTY-ServePC-VAN などのパソコン通信サービスが盛んで、インターネットがあまり流行っていなかった 1990 年代は、これらのパソコン通信サービスの中ではいろいろなサービスがあり、そのサービスの上でコミュニティが構成されていました。
たとえば NIFTY-Serve では統一した特に個性がないような 8 桁の ID が発行されていました。これはニフティ社に月額料金をずっと支払続ける限り維持される ID で、この ID はニフティ社のみが発行していました。たとえば、ISP の 1 つである Bekkoame に入会したとしても、NIFTY-Serve のコミュニティフォーラムには参加することはできません。NIFTY-Serve のコミュニティにはものすごく技術的に高度な人がいろいろな周囲の人を助けるためのアドバイスなどをしていましたが、そのような人たちと交流するきっかけを得るためにはニフティ社と契約して NIFTY-Serve の ID を取得する必要がありました。他のより安価な ISP と契約してもそのコミュニティに入ることはできませんでした。


このような NIFTY-Serve が重要なコミュニティを構成していて、そのコミュニティの一員である状態を維持し続けるためには、ニフティ社に対して毎月の税金のようなサービス料金を支払い続ける必要がある状況というのが、前述の「国や会社にはコミュニティ (共同体) という機能が別にあってそれが重要なのである」という意見における状況とほぼ同じであると考えて良いと思います。
インターネットという自由なネットワークにアクセスできるいずれかの ISP と契約するというのではダメで、ニフティ社のみが提供する NIFTY-Serve の ID をニフティ社が独占している契約条件に従ってニフティ社のみに高いサービス料金を支払うことではじめて ID を取得してコミュニティに参加できるという訳です。
これは、たとえば、会社には重要なコミュニティ機能があり、そのコミュニティの一員であり続けるためには、その会社に対して高いサービス料金 (給料から天引きされる会社の取り分のお金) を支払い続け、その会社に在籍し続けることが要求されている状況と同じです。
また、たとえば、国には重要なコミュニティ機能があり、そのコミュニティの一員であり続けるためには、その国に対して高いサービス料金 (税金) を支払い続け、その国に在籍し続けることが要求されている状況と同じです。


そういった意味では、日本における前インターネット時代であるパソコン通信時代では、特定のパソコン通信業者ごとに、その業者の内部のユーザー間のみでコミュニティが構成されていたという経験が過去に存在しています。そして、これは、上記の「会社や国にはコミュニティとしての機能がある」という話とよく似ています。


そしてその後、パソコン通信の事業者の枠とは無関係に、単にインターネットに接続するだけでだいたいの欲求は満たすことができるようになった 2000 年代が到来した後に、NIFTY-ServePC-VAN が直ちに消滅してしまったという事実は、非常に有名です。


それでは、NIFTY-Serve などが消滅してしまったからといって、パソコン通信時代からのネットユーザー間のコミュニティが消滅してしまったかというと、そのようなことはなく、現在でもコミュニティ機能は十分インターネット上に生き残っています。インターネット上の各地には自由な形態のコミュニケーション機能が多様に存在していて多くのコミュニティを形成しており、力のあるユーザーが他のユーザーを助けています。また、パソコン通信時代に知り合いであった人とは、NIFTY-Serve のフォーラムが消滅しても、問題なくインターネット経由で交流することができています。


ただし、重要な変化が 1 つだけあるとすれば、それは、NIFTY-Serve の時代はネットユーザー間のコミュニティはニフティ社が独占して管理しており、そのニフティ社にお金を支払うか否かがコミュニティに参加できるか否かの境界線であったところ、インターネットの時代ではそのような独占的なお金を徴収する会社というのはもはや存在しないという所にあります。多くの人がお金を毎月支払って ID さえ維持すれば参加していたことになる巨大な 1 個のコミュニティというのが消滅した代わりに、小さなコミュニティがたくさん登場し、そのコミュニティに参加するためにはニフティ社にお金を支払っても参加できません。インターネットのような自由な社会においては、パソコン通信時代と違い、コミュニティに参加するためには、お金で ID を購入するのではダメで、人間的な信用関係や昔からの個人的な付き合いといったものが重要視されます。


NIFTY-Serve などの巨大コミュニティが消滅し、インターネットのような自由な形態の上でのコミュニティに遷移したことをみると、会社や国といったものが今はまだわずかにコミュニティのようなものを構成するための機能を提供していたとしても、今後、会社や国をコミュニティ基盤として頼る人はどんどん少なくなっていき、最後には、そのような会社や国といったものは単なるサービス事業者であるという状態になって落ち着くと思います。
そうすると、国に税金を支払っているとか、どこかの会社に在籍していてその会社に搾取されつつ在籍しているといったことは、コミュニティに参加したり、コミュニティを構成したりするために全く役に立たないことになってしまいます。


そのような新しい自由な社会では、コミュニティに参加したりコミュニティを構成したりするためには、気が合う人たちの間で任意にコミュニティを構成することができる訳で、かつ、それの維持のために、本来コミュニティに関係がない、国とか会社といった業者さんにお金を毎月支払う必要はなくなります。


協同で 1 個のプロジェクトを実施するための人たちの集団がコミュニティだとしたら、ある仕事のお客様との関係も似たようなものだと言えます。会社が人間関係を独占していた時代、つまり、会社の看板を背負って製品を作ってそれをお客様に販売していた社員がその会社を辞めてしまったら、よほどのことがない限り、そのお客様は辞めた後の個人をあまり信用しなかった時代がありましたが、現在では逆に、お客様のほうは取引先の会社は特に信用しておらず、その会社の中にいる個人の人間性や誠実さ (言っていることと事実とが合致しているかどうか) をみて個人を信用する時代になりました。現代では、会社を辞めた後も、誰でも十分に自分の能力でお客様に製品やサービスを提供することができる人間関係を作るのは容易いことです。


人と人との間の関係構築・維持に組織が存在しており、その組織がサービス料としてお金を毎月搾取していた旧来の社会のシステムと比較すると、新しい社会では、人と人とが直接関係・維持をすることができるようになり、コストはほとんどかからず、また、気に入らない人は自分たちのコミュニティから簡単に出て行ってもらうことができるので、より快適なコミュニティを実現・維持することができます。


このように自由な形の社会においては、活発で創造的なことをする人はより効率的にそのような活動を行うことができ、活動を複数人で行う必要がある場合には、国や会社などの組織に依存せずに、直接、最適なメンバーを組織し、そのメンバーだけでコミュニティを作り、最も快適に、嫌なことは少ない状態で目的を達成することができます。これは大変すばらしいことであり、インターネットやインターネット上でのサービス (メールや SNSWikiSkypeVPN など) はそのような社会を実現するために存在するといっても過言ではないと思います。


こういった新しい形の世界のほうが、古い、大規模なコミュニティを組織が管理して支配する旧来の世界と比較して、非常に効率が良く、楽しいのは間違いないと思います。しかし、古いやり方のコミュニティを残さなければならないとか言って、昔ながらの終身雇用とか強制貯蓄制度とか国が主導するおかしな世代間格差を助長する制度のようなものを押しつけてくる人たちというのは、だいたいはこの新しい自由なやり方が普及してしまうと、実は自分にはたいして魅力がなく、これまで他の人に寄生して生きていたということが露見してしまうのが怖いので、古いやり方のコミュニティが重要であり、新しい自由な社会というのは人々の間の連帯を崩すので悪いことであると主張します。そのような主張は欺瞞であるということは、インターネットの成長とともに成長してきた、新しい考え方を持った現役の学生くらいのインターネット世代の人たちにはだいたいバレてしまっていると考えれば良いでしょう。


だから、新入社員として入ってくる新卒の学生のうち、本当に使える人たちを欺すことはもうできなくなってしまっていると考えなければなりません。