行き:筑波大学→実家

筑波大学から実家へ帰るのに、谷田部IC→[常磐自動車道]→[首都高速]→[東名高速]→[名神高速]→吹田IC を使った。午前9時前に大学を出た。僕ともう一人のN君 (仮名) とで半分ずつ運転するということになっていたので、まず僕が「浜名湖SA」まで運転して、そこで大体半分なので残りをN君が運転することになった。
高速道路で撮った写真の一部。浜名湖まで自分が運転していたので、その後の写真。



「東京」っていうインターチェンジ名なのか。



浜名湖を出たあたり。



斬新!!「新城」パーキングというのがあった。偉大偉大。



豊田市」の近く。



名古屋の近くのジャンクション。こういう巨大都市建造物を見ると心が安らぎ、大変良い。



名古屋。雪がまだかなり残っていた。



関ヶ原に近づくにつれて、雪が降ってくる。



関ヶ原の 2km 前で、除雪車のために大渋滞。かなりの時間ここで停まっていた。



関ヶ原トンネル。このトンネルを抜けた先は空いていた。



滋賀県



伊吹の少し前の辺り。さっきまで通ってきた風景からは考えられないほど降雪している。



伊吹サービスエリアのあたりで、運転していたN君が 居眠り運転を始めた(!) ので、サービスエリアに入って交代。結局ここから最後まで、また自分で運転することに。
伊吹SAはものすごい雪が降っていて、滑り止め無しではスリップしそうなくらいだった。


その後、名神→吹田IC で降りて、そこから大阪市まで下道で行ってN君を降ろしてから、実家まで帰ろうと思ってカーナビに従うと、上新庄→淀川→梅田→中津→十三→神崎川 (神崎橋) →園田の南にある山手幹線→………→実家 のような頭のおかしいルートを勧められて、その通りに走ったらとても大変だった。いきなり阪急十三駅の近くの昔通っていた 希学園 の前を通るし。あそこらへんは大阪でも交通量の多いほうだから、普通は避けるのに。
とにかく、実家には帰りついた。友達の家に寄ったので、9時間半かかってしまったが、それがないと仮定すればたぶん8時間半くらいだろうか。

実家− SoftEther.com の製作

さて実家に帰ってゆっくり休めるかというと、それは無理である。なぜならば、SoftEther.com の Web サイトを年内 (というか仕事納めの日まで) に完成させることを目標としていたのだが、作業がまだ全然終わっていないうちに帰省してしまったからである。(帰省するのは 27 日と決めていたので、後から変更できなかった)


しかし、今回はいつもと違って車で帰ってきたので、車に 筑波で使っている必要最低限の開発環境をすべて積んで持ってきた。 あとは、これを実家の Yahoo! BB につないで、そこから PacketiX VPN 2.0 を使って筑波のネットワークに接続し、VPN 経由で在宅勤務のように Web サイト開発を行えば良いのである。



↑ 実家に設置した開発環境。なかなか快適。


結局、27 日は午後 9 時前に実家に着いて、それから徹夜で作業して、午前 8 時ごろにやっと全部完成したので、SoftEther.com として公開して、寝た。

年賀状印刷

実家に持ってきたのは、開発環境だけではない。
カラーインクジェットプリンタ と年賀状 200 枚も持ってきた。これで 28 日に年賀状の宛名印刷を完了させれば、年内に届くであろう…… という計画で、28 日にまた徹夜の勢いで年賀状印刷を行った。


六甲山

12月31日に、六甲山へ行った。
六甲山は関西では結構有名な山で、神戸市と西宮市の間にある。また、甲山という小さな山も近くにある。六甲山や甲山の公園などは、幼少のころよく連れて行ってもらったので懐かしいと思い、自分で運転して行ってみることにした。



甲山公園。



公園にある橋。大変なつかしい。



「甲山」。



「六甲山」の山頂付近から望む神戸市。



ハムスタープリウス

実家の写真


この机で、小学校6年生〜高校3年生の間の7年間、コンピュータの勉強をしたのである。
今でもディスプレイはまだ使っているようである。(本体は、以前使っていた PC-9821 はさすがに使っていない)
高校時代の3冊の書籍も、ソフトウェアも、原稿も、筑波大学に入学するためのAC入試の書類も、全部これで書いたのである。



幼稚園〜小学校の間に遊んでいたガラクタ類。ビデオデッキ、テープレコーダ、アンプ、巣ピーカ、映画フィルム映写機、ジャンク基板、電子工作部品、高電圧発生ユニット、などが見える。
子供のころからよほど頭がおかしかったと見える。

中学校1年生のときに作成した自己紹介文

高槻中学校 というACな中学校 (高校までエスカレータ進学できる) に入ったときに、クラスで全員が自己紹介文を書いた冊子というのがあった。それが発掘されたので、写真に撮ってきた。

中学のころからさらに頭がおかしくなったと見える。

筑波大学に帰還!!

6日間実家に滞在して、1月1日に筑波大学に戻りました。
ルートは、行きと同じではつまらないだろうということで、[尼崎]→名神自動車道→[中央道分岐点]→中央自動車道首都高速常磐自動車道→[谷田部]→筑波大学 のようなルートで帰ることにした。
帰りは、自分一人で運転。といっても、行きもほとんど自分で運転することになったのだが。


午後2時30分ちょうどに、実家を出発。


午後4時ごろ、行きにものすごい雪が降っていた関ヶ原付近を通過。先日の様子が嘘のように、ほとんど雪はなかった。


午後6時、長野県の 諏訪湖サービスエリア で食事。


諏訪湖は、昔来た覚えがあるのだが、大変夜景がきれいな湖である。




中央自動車道って面白い。
愛知→岐阜→長野→山梨→神奈川→東京 を通るので遠いように感じるのだが、実際に道路の距離を測ったところ、東名を通った場合と比べて約 5km しか長くないのである。しかも料金もほとんど同じ。


東名はいくつかの場所がボトルネックになって混むのだが、中央道は車は非常に少なく、1度も混んでいる場所は無かった。


あと、なぜか中央道は制限速度が 80 km/h だった。冬だけかと思ったが、固定式の (鉄板の) 標識に 80 と書いてあるので、常時 80km/h なのだろうか。
守っている車などいなかったが。


東京に入って、首都高をぐるぐる回って、常磐道に乗って、偉大なる筑波大学に戻った。

午後2時30分に出発して、ちょうど午後9時についたから、6時間半かかったことになる。30分間は飯を食っていたので、走っていたのは6時間。結構速いものである。